2022.12.5
今回は定期考査Ⅲの答案返却日。
解答・解説は事前にGoogle Classroomで配信済。
ずっとこのやり方を続けています。
答案返却後、35分バージョンで。
授業の核となるものを意識。
それは、教科書精読、疑問点抽出、知識・技能の習得・活用。
最近「振り返り」がおろそかになっていますね。
50分バージョンに戻したら、しっかり入れます。
教える側の「振り返り」も必要!反省~っ!
[本日の授業の流れ]
A.探究の入口:Critical Reading と 疑問点の抽出
B.知識の習得:自分で調べ、解説を聴いて知識を共有し、疑問も解決。
C.技能の習得:資料の読み取りをし、ペアで共有。
G.今日のゴール:個人の思考力を活用し、最後に全体で共有。
今日のテーマ
第二次世界大戦はどのようにして始まったのだろうか?
A 探究の入口 Critical Reading (8分)
〇教科書熟読
「ドイツの侵略と独ソの連携」
「第二次世界大戦の勃発」
テーマに即した重要点と疑問点に異なるラインを引いて、問い作りのきっかけに!
今回は実際に抽出方法例をあげて一緒に考えよう!
B 知識の習得 ポイント解説 (9分)
◎ドイツの侵略と独ソの連携
〇オーストリア併合→ズデーテン地方を要求→ミュンヘン会談→チェコスロヴァキア解体
・ミュンヘン会談
英・仏はドイツに「宥和政策」をとり、ズデーテン地方を割譲
なぜソ連とチェコスロヴァキアは会談に招かれなかったのか?
ソ連がいると、ズデーテン地方の割譲に反対するかもしれない。
チェコスロヴァキアは領土削減に反対するのは当然だから、いない方がいい。
つまり、両国とも邪魔!ということになる。
→ 独は英・仏が攻めてこないと考え、
さらにチェコスロヴァキアを解体
(東のスロヴァキアを保護国化)
・ソ連の立場:英・仏が手を出さないのは「防共」ではないのか
→ ドイツの方がマシかも…
〇ダンツィヒ・ポーランド回廊を要求
なぜ、この両地域をほしがったのか?
地図を見れば当然わかる。
ドイツは飛び石になっていた(緑の部分がドイツ)
◎第二次世界大戦の勃発
〇独ソ不可侵条約(1939.8.23)
→ 世界の驚き:敵対するはずだったのでは?
独は「防共」なのでは?
〇ポーランド侵攻(1939.9.1)
⇒ 第二次世界大戦が勃発(1939.9.3)
・秘密協定:ポーランド分割やバルト三国併合を取り決めた秘密追加議定書(戦後明らかに)
〇ドイツの侵攻(1940)
・デンマーク・ノルウェー → オランダ → ベルギー → フランス
〇フランスの占領
・北西部:ドイツが占領
・南部:ドイツ寄りのヴィシー政府
・レジスタンス:ド=ゴールが亡命先のロンドンで自由フランス政府を樹立、フランス国内でも抵抗運動
Q:独ソ不可侵条約における独ソのねらいはそれぞれ何だったのだろうか?
独:英仏は宥和政策だから攻めてこないはず
それなら、挟まれる前にソ連と組もう。
ポーランド侵攻にも有利だし。
ソ:宥和政策は英仏が防共を優先した結果なのではないかと不信感
今は独と組んだ方がマシだな。
旧ロシア(東欧)の領土回復も進めたいし。
※いずれは独とソが争うことになるのはわかっていた。
C 技能の習得 (8分)
Q:チャーチルはどのような考えを持っていたのだろうか? ⇒ 資料4&5 p.127
ネヴィル=チェンバレンの宥和政策は失敗だ!
なぜ独をそのまま泳がせたんだ?
ソ連と手を組まなかったのが外交の失敗
(独は本当にソ連と組んだのか?)
G 思考・判断・表現力 = 知識の活用
今日のゴール (10分)
第二次世界大戦はどのようにして始まったのだろうか?
Keyword:ズデーテン地方、ミュンヘン会談、独ソ不可侵条約、ポーランド侵攻
ドイツはズデーテン地方を要求し、ミュンヘン会談でソ連を外して英仏はその要求をのんだ。そのためソ連は英仏に不信感を抱いて逆に独ソ不可侵条約を結び、独はポーランド侵攻を実行した。宥和政策は限界に達し、英仏は独に宣戦布告して第二次大戦が勃発した。